50カ国以上、200を超える都市をめぐり、その旅の思い出と詩が綴られた『いつも心は旅の途中』(張銀英・訳 マガジンハウス)が2024年8月に邦訳出版された詩人のイ・ビョンリュルさん。秋の夜、詩人の言葉に耳を傾け、詩をじっくり味わう珠玉のようなひとときが、BOOK MEETS NEXTとK-BOOKフェスティバルの連動イベントとして開催されました。
亡き谷川俊太郎さんに思いを馳せて
イ・ビョンリュルさんは、1995年《韓国日報》新春文芸に「良い人たち」「その日には」が入選、詩人として文壇デビューして以来、数多くの詩集や旅を綴ったフォトエッセイを出版。韓国で2010年に出版された『いつも心は旅の途中』は100万部のベストセラーとなって長く愛されています。
イベントの冒頭でイ・ビョンリュルさんは、「大好きな東京の美しい季節に、本の刊行を記念して皆さんに会えたことが嬉しい」と優しく微笑みながら挨拶。イベントの10日前にこの世を去った詩人の谷川俊太郎さんに触れ「私たちは高貴な詩人を失ったが、詩は長く残り、希望、悲しみ、癒しを届ける」と語りました。そして、谷川俊太郎さんの詩「歌ってもいいですか」の日本語を張銀英さん、韓国語をイ・ビョンリュルさんが朗読しました。
旅の中で詩が生まれる
続いて2024年に韓国で発表され、刊行わずか半年あまりで3刷を記録した詩集『誰かをこれほど愛したことが』より、表題作と「時計を外して振っておくれ」の二篇を韓国語と、吉川凪さんの訳詩で朗読。
「詩は難しいと言われるが、全体がわからなくても一行わかるだけでもいい、それが許されるのが詩」とイ・ビョンリュルさんは語り、「詩はいつでも書くとこができる。電車、飛行機、少し体がぶつかったとき、そんなふうに“揺れて“いる時に詩が生まれる」と述べ、旅の中で詩が生まれる瞬間について語りました。
青春時代の情熱とカメラ
邦訳されてまもない『いつも心は旅の途中』から紹介したのは「情熱があれば」。「愛する人への情熱、青春時代の夢への情熱、旅への情熱。情熱があるか、ないかで人生は変わる」
この詩のように、青春時代に夢への情熱を抱き、詩が書きたくて芸術大学に入学したイ・ビョンリュルさん。書いては消すという作業を繰り返す「鮮明でない世界」で生きる自分と比べて、写真学科の学生が全く違う世界を見ていることに驚いたそうです。
「10年書き続ければ詩人になれるだろうか……」と迷っていた頃に出会ったのがカメラでした。20代の頃は小津安二郎の映画を見ながら、カメラと詩にどっぷり漬かって過ごしていたそうです。『いつも心は旅の途中』にはその頃にイ・ビョンリュルさんが全世界を旅して、自ら撮影した写真が掲載されています。
同じく『いつも心は旅の途中』から「私は何かを、世の中にもたらす人ですか」の朗読。イ・ビョンリュルさんが出版社「달(月)」の運営者としてK−BOOKフェスティバルのブースに参加していました。「原書を手にしたり、翻訳書にサインを求めてくださる人がいて、世の中にどのように何を返せるだろうと今日一日考えていました」と、読者との出会いの感激を語りました。
いつも心は旅の途中
最後に朗読したのは「逃げなければ、逃げなければ」です。「別の道を行っても1つになる道の運命。道の自由。その道の上に私は立っていた。その道に立っていることで私は生きているような気がした」
詩人の人生のような、旅のような一篇で『いつも心は旅の途中』は締めくくられます。今年の冬は札幌に行き、10日間小樽のカレー屋さんで人生経験を積む予定だというイ・ビョンリュルさん。
「これからも多くの人々の隙間を縫って旅を続けていきたい。美しい風景にも出会える。人によって泣いたり、人によって生きて行かなければと思わせられるかもしれないから」
旅と詩ほど仲の良いものはありません。詩心のない私でも旅に出ると詩を読みたくなるし、書いてみようかという気になります。そんな素敵な旅の物語を、詩人の素敵な韓国語と張銀英さんの日本語で味わえた素敵なひとときでした。まだまだ続く詩人の旅。この冬の北海道でどんな詩が生まれるか、とても楽しみです。
(レポート:中村晶子)
当日の様子は以下から視聴できます。