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2021.12.24
サテライトイベントレポート:『日刊イ・スラ』刊行記念ーイ・スラ×原田里美 「Introducing イ・スラ&『日刊イ・スラ』」

K-BOOKフェスティバル2021の3日目。11月18日(木)に本屋B&Bにて行なわれたサテライトイベント「イ・スラ×原田里美:Introducing イ・スラ&『日刊イ・スラ』」のトークをレポートします。

その日が日本語版の発売前夜となった『日刊イ・スラ』の著者、イ・スラさんをソウルからオンラインでお招きし、聞き手は本書訳者の原田里美さん(と編集担当の綾女欣伸)、通訳は古谷未来さん。

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「日刊イ・スラ」は、当時27歳だったイ・スラさんが突如2018年に始めた、毎日1本文章を書いてメールで配信するというセルフ連載プロジェクト(購読料は月千円)。この韓国初の「文学直売」はたちまち話題となり、連載の半年分をまとめた『日刊イ・スラ 随筆集』は600ページほどの分量にもかかわらずベストセラーに。その年の独立書店が選ぶ「今年の本」にもなりました。連載のシーズン2は『心身鍛錬』という1冊になり、今回の日本語版はこの2冊の中から41編を厳選して収録した日本オリジナル版です。

……といった『日刊イ・スラ』の紹介を終えたのち、画面に登場されたスラさん。「日本で本が出ることになってとてもうれしいです」との一言め、そこはスラさんのオフィスの書斎で、後ろの本棚には日本の小説やエッセイ、漫画もたくさん並んでいるとのことです。

まずは原田里美さんが訳し終えての本の感想を。「内容や文体は多岐にわたっているが、一貫して恋人、家族、友人、とにかく『人』について書かれている。でも文章は感傷的でなく乾いていて、だからこそ文の隙間に読み手の感情が染み込んでいく」。トークは原田さんがスラさんに質問していくかたちで進んでいきます。もう一人の訳者、宮里綾羽さんは那覇からご覧になっている様子。

なぜ「日記」ではなく「日刊」なのか?という質問には、「私も日記は別に書いていますが、書いた文章を直接読者に、しかも毎日売るのは韓国ではめずらしい。私は商売人の家に生まれたので積極的に自分の文章をセールスしていきました。でも、人に文章を買ってもらい読んでもらうためには、常に日記以上のものを書かなければならない。それが私の文章の先生の教えでした」。文章は毎日夜の12時に送るよう決めていたが、11時くらいなると購読者から「いつ送ってくるんだ」というメールがどんどん届くようになったといいます。「自分は何事もコツコツ続けていく地道なタイプなんですが、なにか優れているところがもしあるとすれば、見聞きしたものについて感嘆する力かもしれません」とスラさん。

『日刊イ・スラ』の文章の1本1本は独立していて、随筆/エッセイと呼べるものですが、スラさん自身は「フィクションとノンフィクションとのあいだの話」とも述べています。するとこれは小説なのでしょうか?それともエッセイなのでしょうか? 「『エッセイ』よりも『随筆』という言葉の語感が好きなので最初の本の書名に『随筆集』と入れました。ただ随筆といっても、決まっていないことを思うままに書くというより、私にとっては小説(フィクション)を書くことに近い。同じ『事実』を書いたとしても、書く人ごとにその内容は違いますよね」

たしかに「滑って転ぶ練習」「手紙の主語」「愛の無限反復」「あなたがいるから深いです」などなど、本書の1編1編のタイトルも短編集のように魅力的です(その目次と、スラさんによる「日本語版の読者のみなさんへ」はこちら。「配信のギリギリ数秒前に思いつきで付けたものが後で見ればよかったりもして」と笑うスラさんですが、その41編の中でとりわけ気に入っているのが「ウンイ」という文章。スラさんの父親の名です。両親や祖父母に対しても敬語を使う韓国において、父をその名で呼ぶことは奇異に見えますが、スラさんいわく、自分にとって家族は親友のようなもの、だからあえて父や母もその名で呼ぶのだと。

と、ここでなんと、原田さんによる人生初の朗読。照れながらも「ウンイ」の最後の部分を読みます。

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彼は休日も早めに起きて、タバコを吸いながら排便して、シャワーを浴びる。そして、黒くて量の多い髪の毛をすっきりかき上げたあと、一時間以上ベースの練習をする。アマチュアの社会人バンドでベースを担当しているのだ。父がズンズンしていても、母はたっぷり寝坊する。父に芸術的才能があるのかはわからないけれど、彼は何かを毎日コツコツやれる人だ。むしろ芸術的才能は母のほうにある。でも、彼女が何かを毎日コツコツ練習することはめったにない。
太陽が真上にくる頃、練習を終えた父は「宝くじを買いに行こうかな〜」と席を立つ。毎週五千ウォンずつロトを買い続けてきてもう十年が経った。彼にとって希望とは何なのか、私にはわからない。父は玄関を出るとき、外に捨てることになっている資源ゴミを二袋持っていく。私が知っている希望は、そこにある。資源ゴミをきちんと分類して、時を見計らって捨てる姿に。父が玄関のドアを閉める音で母が目を覚ます。 彼女はようやく起きてきて、手際よく朝食を用意する。これが、週末の昼に繰り返される光景である。
今朝、母が父に将来の希望を尋ねると、父が問い返した。
「それを悩むのはもう遅いんじゃない?」
母は、何歳だろうと将来の希望を聞いたっていいんだから考えてみて、と言った。
父は考えてから、ビルの管理人になりたい、と答えた。正確には、娘の住んでいる建物の管理人になりたがっているらしい。
父には娘はいるが、建物はない。五十代前半の彼には、働かなければならない日がまだたくさん残っている。ウンイの健闘を祈りながら、私はただ、自分の家賃を必死に稼ぐ。
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朗読が終わるとスラさんも思わず笑顔で拍手。これまでずっと原稿やゲラの文字で読んでいたスラさんの文章ですが、こうして「音」で聞いてもとても良いものなんだと気づきました。それはもちろん訳者の努力のおかげであって、「今回すごく良い翻訳者の方と出会えて感謝しています」とスラさん。

スラさんは母親の「ボキ」についても本書の中でたびたび書いています。その理由を聞かれたスラさんは少し笑って宙をあおぎつつ、「面白くて、あたたかくて、わけがわからなくて、可笑しくて、かわいい人。私にとって源泉のようなもの。一番近くにいる人なので書かずにはいられない」。ボキさんの顔は「パンパンに熟した柿みたいだ」と本で書かれていますね、と原田さんが投げかけると笑いが包みます。トーク中、日本語を聞いているときは凛とした姿のスラさんですが、笑うと本当に笑顔が子供のように素敵でした。

スラさんは今も文章教室の講師として10代の子供たちに教えています。その様子がわかる「唯一無二」という1編の冒頭をここでまた原田さんが朗読します。

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このあいだ、私は小学校の作文の授業で、ひとつの疑問文を黒板に書いた。
「自分はなぜ、ゆいいつむになのか?」
その日のテーマだった。 (続く)
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スラさんと「文章を書くこと」との付き合いについては、原田さんも訳者あとがきの中で述べていますが、そんな原田さんから核心を突いた問いが出ます。「スラさんの著作はインタビュー集あり、書評集あり、そしてエッセイ集ありと幅広いけれど、どれも『人について書いた本』。人に会って、聞いて、一緒に何かして。相手にマイクを向けているわけではないけれど、どれも人についての『聞き書き』のようにも思えます」

スラさんが答えます。「そう、私は人の話を聞いて、それについて書く、という作家だと思います。大家族の中で育ったのも影響しているかもしれません。私はとてもよく質問をするタイプなので、実は今こうして一方的に話すのはちょっとぎこちない。もし私も日本語ができたらお二人にいろんな質問をしてみたいんですけど、我慢しています!(笑)」

最後の朗読は、(ちょっと朗読慣れした)原田さんが「ノムチョアヘヨ(すごく好きです)」という「ハッピーアワー」。スラさんが恋人の誕生日に、ちょっと良いホテルに泊まるという「時間」をプレゼントする。そこでワインとチーズ飲食し放題の「ハッピーアワー」を楽しんだ二人は、ふと窓に映った自分たちの身の丈の合わなさに気づく。それを3年後、恋人への手紙というかたちで回想しています。

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お金がなくて、あるいはお金があっても時間がなくて、あるいはお金も時間もなくて、あるいはお金も時間もあるのに気持ちがなくて、あるいは気持ちはあるにはあってもすれ違って、私たちは幸せを、私たちのもとに引き寄せるのにいつも失敗する。 (続く)
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「これはほぼ一気に、30分くらいで書いた作品で、過ぎ去っていく愛についての話」と振り返るスラさんですが、そんな話も2年間悩みに悩んで訳したと語る原田さんから、翻訳の大変さと喜びがうかがえます。「イ・スラさんの本を日本語で読める日が来てとてもうれしいです」との参加者からのコメントを読み上げたのち(本書の版権を仲介くださったナムアレ・エージェンシーの木下美絵さんからも、「原田さんの朗読もっと聞きたかったです〜」のコメントが)、イベントでは歌も歌うスラさんからの言葉と音楽のプレゼントがありました。

最後は直接、スラさんと原田さんの発言を引いてこのレポートを終わりにします。

スラさん「私自身が日本の小説やエッセイや漫画にたくさん影響を受けて育ったので、今回の日本語版の出版をほんとうにうれしく思っています。そうやって作られてきた自分の世界がまたどんどん大きく豊かになってきて、それをこうして日本の読者のみなさんにお伝えできることに感謝しています」

原田さん「翻訳に取り組んだこの2年間、コロナ禍で人との距離を置かないといけないなかで、人との距離を近づけてくれるスラさんの本をこうして出せたのがうれしいです。この『日刊イ・スラ』には、愛さずにはいられない人たちがたくさん出てきますが、ふと自分の周囲を見渡せば、同じような人たちでいっぱいなことに気づきました。そして翻ってみれば、人から見た自分の中にだって似たような愛らしさや可笑しさがあるわけで、この本を読んでそう信じてくださったらいいなと思っています」

スラさん「ありがとうございます。そして、この日本語版の表紙イラストの女性の顔は本当に私にそっくりなので(装画はすぎもりえりさん)、ぜひ楽しくこの本を読んでいただけたらと思っています」

本書からもう1編、祖父の誕生日の話を綴った「あなたがいるから深いです」はこちら

(レポート:綾女欣伸)

 

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